例えばそう不偏的な。
2005年5月5日 ココロ。常にあたしのなかには沢山の生きたいと
死にたいがないまぜになっていて。
そういったもの全てひっくるめたあたしがあたしはだいきらいで。
普通と言う符号を持ち合わせないこの容姿も精神も憎らしくてたまらない。
どうしてこんなになったんだろう。
何処で道を間違えた?
此処数日は毎日死にたいと考えていました。
何時死のうかってそればかり仕事中考えてた。
でも笑っちゃう事にツアーがまだ終わって無いから生きていた。
そういったイミでは音楽はあたしにとって生きる糧であり、
死なない理由だ。
馬鹿みたいだけどそんな些細なことだって
生きる理由に出来るのだから
そんなに深刻に生き死にを考えていないし。
簡単に人は死なないからちょっと危険なことが
出来るんだと思う。
そんなに死にたけりゃあクビでも吊るか。
電車に飛び込めば良いんだから。
結局は『可哀想な自分』を再確認したいだけで
だれかに可哀想だねって同情してもらいたいだけだ。
そんな恥ずかしい自分がイヤだから
此処にしか書かないけど。
こんな薬か酒かなんていう人間が。
幸せになれるわけも無いのに。
犬の散歩してちょっと幸せな気分ってのを
体験してみて明日に不安がってる。
酷く惨めで滑稽だ。
馬鹿馬鹿しい気分になる。
人並みの幸せが分不相応なものに感じて
コレはあたしにはふさわしくありませんって
返却しなくちゃあいけないんじゃないかって
いつも怯えてる。
明日は仕事。
悩みなんてなさそうなカオをして働くのが辛い。
ココロをちゃんと開いてヒトと接しなくては
ならないよって分かったような顔をして言う
あのヒトに泣きながら悩みを打ち明けて
みると言う名目の不幸自慢をしてやろうか
とか酷く自虐的なことを珠に考えるけど。
クビになるのがイヤだからと言う理由でまだ
やったことは有りませんが。
首を切られる要素は実は幾らでも持ってる
ワケでそれを感づかれ無い様に
いかに振舞うかに腐心してる自分もまた普通という記号に
しがみ付いてるただのひとであるんだろうと再確認させられる。
馬鹿馬鹿しい。
死にたいがないまぜになっていて。
そういったもの全てひっくるめたあたしがあたしはだいきらいで。
普通と言う符号を持ち合わせないこの容姿も精神も憎らしくてたまらない。
どうしてこんなになったんだろう。
何処で道を間違えた?
此処数日は毎日死にたいと考えていました。
何時死のうかってそればかり仕事中考えてた。
でも笑っちゃう事にツアーがまだ終わって無いから生きていた。
そういったイミでは音楽はあたしにとって生きる糧であり、
死なない理由だ。
馬鹿みたいだけどそんな些細なことだって
生きる理由に出来るのだから
そんなに深刻に生き死にを考えていないし。
簡単に人は死なないからちょっと危険なことが
出来るんだと思う。
そんなに死にたけりゃあクビでも吊るか。
電車に飛び込めば良いんだから。
結局は『可哀想な自分』を再確認したいだけで
だれかに可哀想だねって同情してもらいたいだけだ。
そんな恥ずかしい自分がイヤだから
此処にしか書かないけど。
こんな薬か酒かなんていう人間が。
幸せになれるわけも無いのに。
犬の散歩してちょっと幸せな気分ってのを
体験してみて明日に不安がってる。
酷く惨めで滑稽だ。
馬鹿馬鹿しい気分になる。
人並みの幸せが分不相応なものに感じて
コレはあたしにはふさわしくありませんって
返却しなくちゃあいけないんじゃないかって
いつも怯えてる。
明日は仕事。
悩みなんてなさそうなカオをして働くのが辛い。
ココロをちゃんと開いてヒトと接しなくては
ならないよって分かったような顔をして言う
あのヒトに泣きながら悩みを打ち明けて
みると言う名目の不幸自慢をしてやろうか
とか酷く自虐的なことを珠に考えるけど。
クビになるのがイヤだからと言う理由でまだ
やったことは有りませんが。
首を切られる要素は実は幾らでも持ってる
ワケでそれを感づかれ無い様に
いかに振舞うかに腐心してる自分もまた普通という記号に
しがみ付いてるただのひとであるんだろうと再確認させられる。
馬鹿馬鹿しい。
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